担当会社が倒産し、夜逃げされないように社長宅を毎日張り込んでいました。
大学卒業後、私は三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、
大阪の小さな支店に配属されました。
独身寮に入り、寮生の面倒をみたり、おごってやったりしながら、
どちらかと言うと、世間一般の銀行マンのイメージとは違って、
出世を考えずに好きなことをやっていました。
そんな私でしたが、32歳のときに、
外国為替の支店長代理に抜擢されました。
これは私にとってはうれしい昇格人事だったのですが、
じつは、ここから私の運命の歯車が微妙に食い違っていったのです。
当時、私が担当していた会社がいよいよ倒産ということになりました。
私はその会社に事業資金を融資していたため、
事実を確認すべく、電話をかけたところ、
留守電になっていて電話には出ません。
会社を訪問しても、社長は不在。
社長の自宅に出向いても留守。
どうやら倒産の噂は本当らしいのですが、
社長に会わないと、次の一手が打てません。
しかし、何度訪問しても、社長には会えませんでした。
そこで私がとった方法は、毎日仕事が終わってから、
社長の自宅の近所のビルの屋上で張り込みをするというものでした。
数日間、張り込みを続けましたが、結局、社長は姿を現しませんでした。
代わりに私が捕まえたのは、30過ぎの息子(後継者)さんでした。
本人の了解を取って喫茶店に入り、
「貸付金の返済をどうするつもりなのか?」を問い詰めると、
息子さんは「すいません。返せる目途が立ちません」
と涙ながらに訴えてきました。
私は息子さんの情にほだされ、見逃してやることにしました。
今思うと、とても反省していますが、見逃したことは
息子さんのためにはならなかったと心残りでなりません。
毎月1万円ずつでも返済してもらっていれば、
会社を続けることの大切さをわかってもらえたのではないか。
きちんと自己破産をしてもらったほうが
新たな気持ちで第二の人生をスタートできたのではないか。
結局、このときの私の判断が
最悪の結果を招いてしまうことなりました。
その後、社長だけでなく、息子さんまで蒸発してしまい、
貸付金は不良債権になってしまったのです。
私はみんなに迷惑をかけてしまったという気持ちでいっぱいでした。
そして、私は支店長代理から、
考査部という部署に異動になりました。明らかに窓際族です。
当時、私は36歳で、「田儀は、最年少で考査部に入った」
と周りからは冷ややかな目で見られました。
しかし、私にとってはラッキーなことでした。
残業がゼロになったことで、毎日、これまで読みたくても時間がなくて
読めなかったかった本をモーレツに読めるようになったのです。
その後、私は証券会社に出向になり、証券外務員の試験を受けました。
考査部時代にいろんな本を読んで勉強する
癖がついたおかげで、試験は最高得点で合格。
成績優秀者として表彰されたのです。
人生、何が幸いするかわかりません。
失敗することも、挫折することも必ずあります。
しかし、日陰の身になったとき、どう行動するかが
大事だということを、このとき知ったのでした。